2015/05/09

ポーランド旅行記−アウシュビッツ収容所−


ずっと訪れたかった場所、アウシュビッツ収容所。

今年、解放から70年が経ちました。
「訪れたい」という言葉が相応しいのかは、分からない。
数字にするのも恐ろしいぐらいに多くの方が亡くなった場所であり、そこは誰もが「訪れたくない」場所だったはずだから。




私たち日本人からすると、遠い過去の出来事であり遠い異国でのこと。
「アウシュビッツがね」という話をしたとしても、名前は知っていても実際にそこで何が行われてどんな場所だったかを深く知る人は多くありませんでした。
私自身も数年前までは歴史の教科書でさらっと触れた以上の事は何も知らず、映画や本を通して「いつか足を運びたい」と思うようになっていきました。


私が訪れたのは、3月下旬。
まだ東欧には春は訪れていない上に、私がアウシュビッツに足を運んだ日は中でも凄く寒い日で冬のコートに身を包みながらも震えてしまうほどの厳しい寒さでした。


クラクフ本駅からアウシュビッツへは、バスで約1時間半。電車で約1時間45分ほどです。
電車の場合は、駅で降りたあとに徒歩で約20分かかるため今回はバスにしました。
バスは目の前で停まってくれます。
朝9時からのガイドだったので、6時50分のバスに乗って向かいました。
早朝の場合はバスセンターの受付が開いていないので、運転手さんに直接お金を支払う事になります。
前日に時間がある方は、前もってバス乗り場を確認しておくと良いと思います。
多分同じだと思いますが、私が乗ったバスは2階にありました。駅の地下道を通ってバスターミナルに行った私は、2階があるとは思わずに1階でバスを探してたけど見つからず、、、たまたま見つけた階段で上に上がってみて見つけることが出来ました。
電光掲示板で停車場(アルファベッド)を確認することが出来ます。


バスに揺られながら、どこかで心が硬くなっていました。
緊張にも似たこの感情はどのように表現していいか分からないけれど、これから目にするものや感じることに、少し不安を感じていたのは確かです。それらを自分で受け止めきれるだろうか、、、そんな不安だったと思います。



中谷さんとのガイドツアーは定員が10名。
他の日本の方と一緒に回ります。
日本から来ていた方、ドイツから来ていた方、私同様ロンドンから来ていた方がいました。
時間通りにスタートした中谷さんのガイドツアーは約3時間にもわたりました。
決して長いなどとは感じず、どちらかというとあっという間の3時間でした。
他の方がブログなどでよく書かれている中谷さんの印象に「淡々」という言葉がありますが、私は少し違った印象を受けました。
迷いなく中谷さんの口から出る言葉の一つひとつは、とても静かでありながらとても重く時に問いかけられているように深く考えさせられるものでした。

決して起きた出来事を説明するだけなのではなく、日本と韓国についてや他国について、心理論など、時間が許すのであればもっともっと深く聞いてみたいと思わされるものでした。

中谷さんが伝えたことに全て同意するのではなく、中谷さんの意見を通して「じゃあ自分はどう見るか」。受け身ではなく、自身に問いかけていくことが大事なのかなと思います。
語弊を恐れずに言えば、収容された方の所有物や写真を見ながら「かわいそうに」と思うだけであるなら、何も日本から遠く離れたアウシュビッツに足を運ぶことはないと思います。それだけなら、本や映画やネットで十分に感じることは出来ます。

私自身「訪れたい」という思いだけで動いたので、「目的を持って行こう」と言うのではなく、心で何かを感じるだけでなく頭で深く深く考えてほしいのです。
これは勝手な私の言い分なので、こうしなきゃいけないというものではないですが、答えが出なくとも考えることを止めたくはないし、止めてほしくないと思う。
アウシュビッツで起きたことは70年も前のことですが、過去と現在は切り離せません。
歴史を振り返るとき、「かわいそう」「何て悲惨なの」「今は平和で良かった」、こう思うだけでは振り返る意味がありません。
私たちが生きている「今」は、いつの日かの「未来」であり「過去・歴史」になります。
怖いのは「傍観者」になること。
出来事を他人事と捉えて見えない線を引いて見てしまう人間の心理は、時にとても怖いと感じることがあります。
歴史の中には「なぜこんな事が起きたんだ」という事が多くありますが、当時の人々に賛成者が多かったからそうなったのかというと、そうではないです。
賛成者よりも反対者よりも圧倒的に多かったのは、「傍観者」です。
日本の選挙の投票率がいつも問題視されますが、「投票しない」ということは、誰が当選されてもそれを容認するということであって、決して「反対する」ということではないです。

そういった「無関心」や「傍観者」になることが、私は一番怖いと思います。

歴史を自分事として捉えるのは簡単なことではないですが、答えが出なくても「知ろうとすること」「考えること」「意見をもつこと」はとても大事だと思います。
私もまだまだ歴史の知識は乏しいですし、全てにおいて勉強中なので(一生学習という意味では終わりはありませんが)、偉そうなことや大きなことは言えませんが、やっぱり深く掘り下げて自分の意見を持っていきたいという思いが強いです。
ただ、時に私自身も無意識に「無関心」になってしまっていることに、ハッと気づいて反省することがあります。
なのでここに書いた事は、自分への戒めも込めて綴りました。

収容されていた方のバッグや靴が山積みになっているのを見ると、70年の歳月が経っているなんて信じられませんでした。
70年前、私たちと同じように嬉しいことがあれば笑い、誰かを愛し誰かに愛され、死ぬことを恐れていた人たちの所有物や大量の髪の毛が、長い月日を経て私の目の前にある。その光景を見て、そこにいた一人ひとりが言葉にしなくとも心で何かを感じていたと思います。


ここでは、中谷さんのガイドや言葉は記載しません。
多くの方がブログで書かれているので、そちらを見て頂くか是非実際に足を運んでください。
日本から訪れるのはとても遠くアウシュビッツとビルケナウ自体が少し辺鄙なところにあるので、簡単なことではないとは思います。
ヨーロッパに行くならフランスやイタリアやスペインに惹かれてしまうかと思いますが、多くの方に足を運んで頂きたいなと訪れたあとに強く思いました。
そしてその際には、是非中谷さんのガイドのもとで回られることをオススメします。
アウシュビッツを訪れる日本人は他国に比べるととても少ないようです。
若い方は特に。
「アジアだからね」と言われる方もいますが、隣の国韓国の方たちは日本の3〜4倍訪れているようです。
国民の数で考えると日本人が訪れている割合の少なさが分かります。
勿論「他国に負けないようにみんな訪れましょう」と言う意味ではないですし、私はたまたまこのタイミングで訪れることが出来ましたが、一生の中でどのタイミングで訪れるかは人それぞれだと思います。
「行くべきリスト」を優先させて行かなきゃ!なんて事は一切なく、20歳で訪れるタイミングが来る人もいれば、60歳になってそのタイミングが来る方もいると思います。
行きたくてもなかなか行けない!という方は、多くの本が出ているのでそれを読んでみるのも良いと思いますし、本は少し難しくてハードルが高いという方は映画でも良いと思います。
最初から一気に近づこうとしなくても、徐々にで大丈夫です。

ただ、どんなに映画や本で近づいたとしても、やっぱり実際に足を運んで見てその空気に触れることに勝るものはありません。
時間とお金が許されるのであれば、是非運んでいただきたい場所です。


アウシュビッツの門、「働ければ自由になれる」。



何日にも渡って座ることも出来ずにここアウシュビッツに連れてこられた人々は、列を作り選別がされました。
「働ける者」と「働けない者」。
「働けない者」と判断された人々は、そのままとある建物へと案内されました。
ガス室です。

収容所の中は一部を除き写真を撮ることが可能です。
中にはショッキングな写真もありますが、目を反らすことは出来ませんでした。

つま先が凍りそうなぐらい寒かったこの日。
雨は降らずとも厚い厚い雲に覆われた空を見上げながら、さほど変わらないであろうここからの景色をどんな思いで空を見たのだろうと、考えていました。


なぜこの収容所が機能したのか、なぜドイツ人がそのような事を行い、そこで働いていた人々はどのような感情だったのか。
そういった観点からも、中谷さんのガイドでは知ることができます。

ポーランドの冬はとても厳しいです。
その為、ここアウシュビッツに訪れる人は春から夏に集中するそうなので、その時期に訪れる方で中谷さんのガイドを予約される方は、早めの予約をオススメします。





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