2013/01/22

やりたい事100リスト。


昔、「もしも親がいなかったら、何を一番したいだろう」って考えたりしてた。



それは、親がいない方がいい!とか、縁起でもないようなことを考えていたわけではなく、ただ、どこかで分かっていたから。
自分が抱いている欲は、親が許しをくれる範囲での場所でしか見れていないことを。



それはまるで、大人が描く「一億円当たったら何をしよう」という妄想と同じようなもの。



無意識に制限範囲内でしか欲を抱かなくなっている自分に気付いたとき、せめて妄想だけでも「何でも叶うとしたら、私は何をしたいんだろう」「どんな職業に就きたいんだろう」って考えるようにしてた。



そこで出てくる想いこそが、私が本当に抱いている欲だと思ったから。
叶う術や叶えられる確率なんてどうでもいい。
そんな事を考えていたら、きっと私が抱く欲は、今の場所から手を伸ばしてすぐに届く範囲でしか抱かなくなる。



子どもの頃は、親の制限で足踏みしていたものが、大人になると、それはお金の制限や、世間の「常識の枠」に変わる。




子どものころ、親に「ダメよ!」と言われても泣きながら欲を叫んでいたのに。
大人になったら、自分の足で好きな場所へ行き、好きな人に会い、好きなものに囲まれて生活するんだ!って、思っていたのに。



私の「大人になりたい」病は、今から振り返っても相当強い欲だったように思う。
だから今でも、ちょっとした事で「大人の自由」に嬉しくなったりするの。



欲しいものを、自分の意思で自分のお金で手に入れたとき。
寝る前の長電話も、自販機にコインを入れる瞬間も、終電ギリギリに帰る家までの時間も。
今ある一つひとつの時間が、自分の意思で流れていく。



大人になったいま、自分の足で好きな場所へ行ける。
色んな制限はまだあるかもしれない。仕事、家族、時間、お金・・・もしかすると現実が見える大人の方が、挙げたらキリがないかもしれない。



だけど、等身大の欲だけだと、それはきっと今の自分が手を伸ばせる範囲でしか物を欲しなくなる。
「身の丈にあった」と言う言葉を使うのは、物に対してだけでいい。
「こうありたい」「こう生きたい」という欲に対しては、貪欲でありたい。出来る範囲を、自ら決めてしまいたくはない。



日曜日の午後。
外を見れば、すっごく綺麗な青空。
1月とは思えないほど、太陽に照らされたベランダはポカポカと気持ち良くて、ベランダのテーブルでお気に入りのノートを開いて、「やりたいこと100リスト」を作ってみました。




その時は、もう自分を取り巻く制限なんて考えない。
例え「宇宙に行きたい!」でも良い。
叶う叶えられないは考えず、思いつくままに書いてみた。



でもね、案外難しいの。
制限をかけないとか良いながら、「ドラえもんと一緒に住む!」だなんて事は書かないわけで。
気付いたら、最初は現実的に叶えられそうなものばかりを書いてた。



でも、時間をかけてゆっくりと、時々空を見上げてボーッとしたりしながら書いてたら、ぶっ飛んだ事から明日にでも叶えられそうな現実的なことまで沢山出てきました。
自分一人で叶えられる事もあれば、相手がいないと叶えれないものもあって。



書いているうちに、どんどんワクワクしてきて、何だか全部叶っちゃいそうな気持ちになってくるから不思議。



書いたから叶うわけではない。
でも、自分の本当の欲を知ることって、すごく大切。
書き出してみると、知っていたようで知らなかった自分が沢山見えてくるから面白い。




今すぐに手を伸ばせば届く欲は、躊躇なく掴めばいい。
少し背伸びをして届くもの、ジャンプをしないと届かないものは、手段を考えて獲りにいけばいい。



欲に気付いていても、頑張れば掴めることでも、手を伸ばさずに後回しにしていることって案外あるもの。
行きたい場所、会いたい人、やりたい事・・・・それらの欲を満たしていけるのは自分。
最初は小さなことでもいい。
少しずつ、叶える癖をつけていきたい。
「本当はずっと行ってみたかったんだ!」って場所に、行ってみることだって一つの満たし方。



自分の意思で動けるほどに大人になったんだもの。



あと一週間の命だったら何をしたい?
そんな質問を自分に問いかけてみるのも有りだと思う。



「死ぬまでにしたい事」ってよく言うけど、でも、いつ死ぬなんて誰にも分からないんだから。
叶えていきたい、一つひとつ。




ちなみに、私のリストを見返してみると・・・「旅、ライター、映画、家族、恋愛」から派生する欲が多かった。




書いたリスト、定期的に目を通してみようかな。
そしてそのリストの項目はきっとこれから増えていく。




数年後の自分が見たとき、その中のいくつが叶っているのかを知るのが、今から楽しみです。
未来の私が、今の私に感謝したくなるくらい、一歩一歩きちんと前に進んでいこ。




やりたい事リスト、大切な人とシェアするのも面白いかも。
相手が自分に近い人であればあるほど、そのリストに書かれている欲を一緒に叶えることだってできるかもしれない。
自分では叶える術が見つからないものでも、見せた相手がそのヒントをくれるかもしれない。



欲に対して、あなたがしている「我慢」が、何かを守るために必要なものなら、それも一つの答えかもしれない。
でも、その「我慢」が、世間の常識に惑わされているもの、叶えようともせずに「仕方ないから」と最初から諦めているものなら、もう一度考えてみてほしい。それが誰にとっての我慢で、本当に必要な我慢なのかを。



人生は一度きり。
今この瞬間も二度とやってこない。
いつ終わりが来るかなんて、誰にも分からない。


だから、助走つけて思いっきりジャンプしたい!




2013/01/14

歴史に魅せられて。


「勉強しなさい」と言われると、たちまち勉強したくなっていた反抗期な中学・高校時代。



そして、ぱったり「勉強しなさい」と言われなくなった短大時代は、がむしゃらに勉強するように。
今では、何かを学んで習得することが、好きでさえあるから不思議。



歴史も苦手科目の一つでした。
誰かの誕生日や電話番号など、数字を記憶することが人よりも得意なはずなのに、年号はどうしても覚えられなかった。
映画が大好きで、映画のタイトルやハリウッドスターの名前はいーっぱい記憶されているのに、歴史上の人物は日本名なのに覚えることが出来ませんでした。



もはや、拒否反応か(-_☆)



そんな私も大人になったいまは、むしろその歴史に興味が沸き、「もっと知りたい!」って欲に駆られています。



そもそも考えてみれば、歴史は私が好きになってもおかしくない分野だったはず。
一つひとつの物や景色にも、必ず人との繋がりがあって、受け継がれてきた背景を思い描くのが好きなわたし。
そして大切な人のご先祖様や、遠い昔生きたであろう誰かの人生に想いを馳せることも、私の中に染みこんでいること。



普段通っている道が、何百年前はどんな姿だったんだろう・・・とか。
私のお祖母ちゃん、そしてそのまたお祖母ちゃんの生きた証が、今の自分でもあるんだなと思ったり。
テレビとかでたまに見る昔々の写真では、そこに写っている人たちはどんな人生で、どんな事を想い生きていたんだろう・・・と思いを巡らせてみたり。



「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」
なんていう語呂合わせを覚えるのに四苦八苦していたあの頃には、歴史そのものの面白さに気付けなかったです(ノ_-。)



今は、歴史小説を読んでみたり、ドラマを見てみたり。
歴史に忠実ではないものもあるので、NHKやBSで放送している歴史番組を見たりするくらい、昔の人が歩んできた道を知りたくてたまりません。



まだまだ知識も乏しくて、知らないことだらけだけど、学生の頃のようにテストがあるわけでもない。
私のペースで、知りたい事を知りたい様に、そして好きな方法で学んでいきたいなと思います。



歴史を知るようになったら、日本で行きたい場所がどんどん増えてきました。
例えば京都だって、あの情緒ある街を、歴史を知って歩くのと、何も知らないで歩くのとでは、楽しみ方も大きく変わってくるはず。



遠い遠い過去。
教科書に出てくる有名な人だけでなく、名前も知らない誰かであっても、その時代を生きて、泣いたり笑ったり怒ったりしながら懸命に生き、繋いだ命があるんだなって。
そう想うと、日本という国、そして「生きる」ということそのものが、とても愛おしくも感じられる。



私たちが生きている今も、いつの日かの歴史になる。
私が歴史を楽しみ、江戸時代に興味を持ったように、200年後の誰かが、今のこの平成という時代を「面白い」と思って見てくれる人がいるのかな。



私が歴史に興味を持ったきっかけとなった小説。
それは「小説 上杉鷹山」童門冬二・著。
歴史に興味がなくても、小説としても十分楽しめます。
また、上杉鷹山は、あのケネディ元大統領が来日した際、「最も尊敬する日本人は?」という問いに、「上杉鷹山」と答えたことでも有名。



歴史を知るためだけでなく、ビジネス書としても度々紹介されるくらい、米沢藩の藩主として生きた上杉鷹山から学ぶことは沢山あります。



大人になって歴史が好きになる。
「すきなこと」が増えるのは、とても幸せなことですね。



日本で日本人として生まれたのだから、やっぱりとことん日本を味わい尽くしたい。



写真は、週末訪れた箱根で撮った一枚。
きっとこの自然の景色は、ずっとずっと変わらずにここにあって、遠い遠い過去の誰かの心をも打った景色なんだろうなと思うと、また感慨深いです。



2013/01/09

2013年。


2013年になってから、早くも10日が経とうとしています。



今年の目標、決めましたか?
年が明けたばかりの今は、新しい幕開けに意欲も増している頃かな。



私はお正月でのんびり過ごしすぎたせいか、年明け早々「やる気スイッチ」を紛失してしまい、ぼけーっとしている間に、一月の約3分の1が終わってしまいました(-_☆)
かと言って焦るわけでもなく、「やる気スイッチが入らないのは、休めってことなのよ」って、良いように解釈して、転がっておりました。



と言っても、記事の締め切りや取材依頼などの諸々があるため、そこは当然キチンとやらせて頂き、年が明けてから既に2つの記事が掲載されています。



たっぷり休んだので、さすがに紛失したと見せかけて実は持っていた「やる気スイッチ」をポチっと押しました。2013年、楽しむ覚悟はできています。




目をぎらぎらさせて突っ走るのは性に合わないので、スキップしながらワクワクの種を蒔いたり、時にはその道中で出逢った人とシェアしたりしながら、ルンルン気分で2013年を楽しんでいきたいと思います。



今年はどんな一年になるだろう。
どんな出逢いがあるだろう。
どんな記事を書いていけるだろう。



考えるだけで、ワクワクしてくる☆



行きたい場所も沢山。
会いたい人だって沢山いる。
その一つひとつの欲を満たしていく1年にしたいと思います。



このブログも、どんな形になっていくのか、そして未来の記事がどんな内容なのか、誰にも分からない。
未来を描くとき、不安な心で見るのではなくて、楽しい何かが待っているかのように、ワクワクして描きたい。だから最近は、先のことを考えると、自然と笑顔になれちゃう。



2013年、あなたにとって、そしてあなたの大切な人たちにとって、愛溢れる素敵な一年になりますように。
今年も、沢山の笑顔を見せてください。
その笑顔で、私も笑顔になれるから。



今年も、どうぞよろしくお願いいたします。



2013年1月9日
大森清香


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