2012/12/18

伝えたいこと。


どうして、「明日はくる」って信じて疑わないんだろう。


そんなことを思わされた、今日。


昼間、用事を済ませてオフィスへ戻ろうと歩いていたとき、私が向かう先に人が倒れているのが見えました。
倒れている人の周りには何人かがいて、救急車がまだ来ていないなかで、応急処置を行っているようでした。



呼びかけに応じない様子。
近くのビルのスタッフと思われる女性が、男性の上の服を脱がせてAEDを使っていました。一般の人でも、救急車が来る前に心臓が止まっている人に電気ショックを行い蘇生させる機械。
だけど、それでも反応しない男性。



倒れている男性の顔を見たら、まだ40か50代くらいのスーツを着た男性でした。



野次馬にしかならない私は、その場を離れましたが、オフィスに戻る道中で色んなことが頭を過ぎりました。
心のざわつきも治まることはなく、一瞬だけ見たその男性の顔が頭から離れなかった。



いつもの月曜日。
「いってきます」と、朝家を出たときには、まさか自分が倒れるなんて想像もしていなかっただろうな。




何で私たちは、「明日が来る」と思っちゃうんだろう。
どうして、「人生80年」だなんて思っちゃうんだろう。



本当は、一秒先だって分からない。
未来がある保証なんてどこにもないのに。



太陽はきっと明日の朝も昇る。
だけど、その太陽を自分が見られるかどうかなんて、分からない。



「今日」が当たり前な顔して来たように、「明日」だって訪れる。
そして明日も、「いってきます」と言って出た家のドアを、夜には「ただいま」って開けるんだろうなって。



そう思っちゃってないかな??


でもそれは、どれも「当たり前」なんかじゃない。
自分の人生が、あと何年残っていて、いつまで生きられるのかなんて誰にも分からない。



そして、それは自分の大切な人たちも同じ。
「また今度言えばいいや」と思っている大切な言葉、ないですか?
「また今度」がある保証なんて、どこにもない。



今日倒れた人も、誰かの旦那さんで、誰かのお父さんかもしれない。
一緒に朝ごはん食べて、お正月の予定の話とかをしていたかもしれない。


そういうこと、忘れたくない。



自分の家族が、自分の大切な人たちが、何事もなく今日も終えられることに、ありがとうって思う。
戦時中じゃないしね、「明日は我が身」と言わんばかりに、危機感を抱くことなんて無理だと思うし、そんなハラハラ感を味わおうだなんて言う気もない。



だけど、事故で亡くなった人たちの名前とかをニュースで聞くたびに思うの。
私の知らないところで、今この瞬間、大切な人を失って悲しんでる人がいるんだなって。



今日があるのは、当たり前な事なんかじゃない。
災害が起きてはじめて、大切な人に「生きていてくれてありがとう」って思うんじゃなくて、何でもない今日を、一緒に迎えられる今日を、ただただ大切に想ってほしい。



「ただいま」って帰ってきた家族を、笑顔で「おかえり」って言って欲しい。
大切な言葉を、「明日でいいや」にしないで、今日伝えてほしい。
それを言いたくても言うことができなかった人が、世界のどこかに必ずいるから。



一日一日を大切にしたい。
一瞬一瞬を愛おしく想いたい。
一つ一つの大事な言葉を、きちんと伝えたい。



今日倒れた男性が、また大切な人に笑顔で会えますように・・・。
「ただいま」ってお家に帰れますように・・・。
助かっていてください。絶対に。



私が迎えるであろう明日に、大切な人たちの笑顔が変わらずそこにありますように。


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